高松のルーツ
◆第2次世界大戦
戦争は日本の敗北で終わり、東京をはじめ日本の主要都市は空襲で焼き払われ、豊島区のまちもほとんどが焼け野原になってしまいました。家やお店といった建物だけでなく、毎日の食料でさえない人たちもいました。
そのようななかで池袋駅には色々な場所から鉄道に乗ってたくさんの人が集まってきてヤミ市と呼ばれるお店が池袋駅の周辺に立ち並ぶようになりました。
「ヤミ市」という名前が付いたのは当時、自由に売り買いをしてはいけないものをお店に並べられていたことが理由です。値段もとても高かったようですが、それでもよく売れました。ヤミ市に並ぶお店のほとんどが飲食店だったそうですが、このヤミ市でまちに集まった人たちは元気を取り戻し、復興に向けて歩き始めました。(豊島区公式ホームページから一部抜粋)
※余談
以前、大正生まれの方から昔話を聞いたことがあります。
千川一帯は空襲によって焼け野原になったけれど、幸い高松は焼けなかったそうです。そんな歴史があって千川は復興に向けて区画整理が進んだそうですが、高松は昔ながらの箇所が残っていて道路が狭いところもあるそうです。